2012年12月4日火曜日

第4回空き地歌会(本編)田中ましろさんの評

田中ましろさんの評です。
全首にいただきました。

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ましろです。
空き地歌会の詠草についてもともと書いていたメモに
当日の内容やその後思ったことをざっくばらんに書き加えてみました。
僕個人の作歌注意点なども上から目線で好き勝手書いてますので
気分を害する話もあるかもしれませんが、そのあたりはご了承くださいませませ。
なにか気付きがありましたら幸いです~。
あ、ちなみにめっちゃ長文です。しかも改行なし。
目が疲れることを覚悟してお読みください!
☆は僕が票をいれたお歌。


A 音羽町置屋ときわや寅の刻 笑いころげる髪結いマツコ(麦太朗)

一読してまず「髪結いマツコ」は妖怪の類なんじゃないかと思って読みました(ちょっと前に怪談短歌が募集されてた影響もあります)。上の句で意味を持っている言葉は「置屋」と「寅の刻」。その間におかれた言葉は置き換え可能であることを考えるとどちらかというと韻律重視で選ばれた言葉なのではないかと。全体を読んだときに「笑いころげる」の理由がわからない部分をこの韻律を整えるための言葉を置き換えてうまく誘導できるともっと票があつまるなぁ、と思いました。


B ほろ苦いコーヒー香り降りそそぐ雪の結晶天使の砂糖(あおい月影)

下の句で種明かしをしてしまったので歌が閉じてしまってもったいないなぁという印象です。コーヒーにさらさらいれる砂糖が雪みたい、というのもよくありそうな見立て。同じ場面でもほんのちょっと視点を変えるだけで歌は格段に生き生きすると思います。砂糖が降るシーンではなく、コーヒーに消えていく瞬間、とか。会場でも指摘されていましたが「天使」って言葉はそれこそ短歌にとっての砂糖みたいなもので、注意してつかわないと一首を甘くて飲めない缶コーヒーにしてしまいますね。


C その男にっこり笑ってひざまずき扇子ひとつで結界を張る(土屋智弘)

映画などで見たことがありそうな光景なのでイメージはすぐに浮かびますが、「それで?」という感じが抜けませんでした。読者は短歌に描かれる「何か」を期待して一首に臨みます。作者が伝えたいことを探りながら読むわけです。だから作者と読者の世界からかけ離れた世界を歌うのは歌の世界に読者を引きずりこむ技術や物語性が必要となります。表面的な状況だけでは読者を引きずり込めません。もっとディテール(結界を張る目的や男との関係など)を見せて行くことで魅力的になるかもしれません。そのフィクションに読者の住む世界への風刺などが乗っかるとさらに共感が得られることになるでしょう。ちょっと求めすぎかもしれませんが。


☆D ネクタイを結ぶ あなたのくびすじの堅固な梱包になりなさい(山階基)

朝に旦那さんのネクタイを結ぶ妻ってドラマとかでよく見かけますが、そこではたいてい幸せの風景として描かれているものです。でも僕はこの歌はちょっとブラックな感情として読みたくなりました。なぜなら一首のなかでやたらと引っかかる「堅固な梱包」という表現があるから。ここは歌会でも意見が別れたところですが不穏な空気を感じさせたという点では僕は成功していると思います。表面的には笑顔でも裏側の気持ちはわからない怖さみたいな。この歌が幸せな歌だとしたらシーンも感情も平凡になってしまうので魅力は減ってしまう気がします。


E 結露した窓を殴ってみてもただ壊せない夢に跡がつくだけ(ショージサキ)

内容としては夢が壊せない理由がいまいちピンときませんでした。壊える夢と壊せない夢の区別がどういう基準でなされているかの一般的感覚がないからでしょうか。窓が結露していることもさほど必然性を感じられません。結露した窓、殴る行為、壊せない夢、そこについた跡。この4つの要素を一本の思考軸で串刺しにできたらもっと共感性が生まれたのかもしれません。すべての要素を串刺しにしなくてもよくて、結露した窓を殴る→割れる、みたいな事象の必然性がひとつでもあればと印象が大きく違ったでしょう。4句目8音は整理できたはず。「5音+2音+助詞」の構造なので余計に字余りが気になるのかなぁ。気になる字余りと気にならない字余りの差は何なのか、最近よく考えてます。(答えはまだない)


F 真冬日の結び目きつくバスを待つあいだにすこし君を忘れる(田中ましろ)

自作。真冬日の結び目をいろいろ考えていただいてありがとうございました。冬は手がかじかんで結び目をほどくのに時間がかかるという読みにはっとなりまし た。予想していない読みで歌に深みを与えてもらうのも歌会の醍醐味ですね。「意識の集中が動いた歌」という読みも嬉しかった。悲しいかなすぐに戻っちゃうんですけどね。


☆G てのひらで重さをはかる 結ばれたものに四億は眠りこけて(魚住蓮奈)

イメージがつながるまでにずいぶんと時間がかかりました。きっと会場でこの歌を初めて見たなら票をいれることはなかったでしょう。難読だっただけに「あ、四億って精子のことか!」と気付いたその気持ちよさにやられてしまいました。四億、という数字は諸説あるんですよね。三億ならもう少し気付くのが早かったかもしれません。内容について。歌会で指摘が出ていた「下の句のリズム」と「眠りこけて」の言葉選びはたしかに改善ポイントだと思います。また、作者が伝えたい内容によりどこまで隠すのかという度合いを調整する、という点がここから学べると思います。この歌の内容をオブラートに包まず詠むと読者の半数くらいは敬遠するでしょう。読者にもよりますが普通は「汚いもの」「クサいもの」「主張が強すぎるもの」「他人事」あたりは拒否反応や無関心が生じるものです。でもうまく伝えると強さになる。その相手を引かせない温度を測ることが重要だと感じました。


H 沈黙の時間を鼓動が数えてたあなたの首の結論は、縦(住友秀夫)

「沈黙の時間を鼓動が数えてた」という表現はちょっと作りすぎた印象です。強引に面白く読もうと思って「頭ではなく首の結論」=「不本意な結末」として誘拐された人だったり弱みを握られてノーと言えないあなたを想像したりしましたがここに与えられている情報からの読みとしてはやはり苦しいですね。歌全体としては歌の重心が上の句と下の句に分散しているように感じました。一首における山場は1つあれば十分。31文字からどんどん言葉を削っていったときに最後に残る核はどこなのか。そこに重心を置き続けて組み立てたほうが伝えたいことを正確に伝えられる可能性が高くなるでしょう。また、その核がそもそも面白いのかという検証にも役に立つと思います。


☆I 結末を立ち読みしてから買うように君の元カノと友達になる(倉野いち)

元カノ=未来の自分、という発見がとてもいいと思いました。そこ推しでの1票です。立ち読み、と書くだけで本と書かなくても本であることがわかるなど単語の抜き差しがきちんと計算されてるなという印象。未来はわからないものですが、好きな人の元カノを見ればそこに自分の未来はある。それを見たうえで判断しようという作者のずるさ&したたかさが表現されています。歌会では時制の指摘がされていましたが、君=恋人未満な人と考えれば付き合う前に未来を立ち読みするつもりで元カノとまず友達になった、という流れは成立すると思います。作者が結末を元カノとしている、つまりいつか別れることを前提にしているそのドライさも歌のいいアクセントになっていますね。とはいえ2句目と4句目の8音は気になります。とくに4句目「君の元カノと」が非常にまどろっこしい。内容そのままで改善されるともっと良くなる気がします。


☆J 食品サンプルに触れる指先ネクタイの結び方など知らなくて良い(浪江まき子)

自分に向けて読んでたらちょっと怖いので行動からして自分の子供とかかなぁ、一読して思いました。ネクタイの結び方を知る、とは大人になることの象徴。そうすると呼びかけている先が子供であることに納得感が出ます。男の子なら自分のもとにずっと置いておきたい、という過剰な親の気持ち。女の子なら誰かの元にいくな、と。どちらにしても子離れできない親バカの歌。初句の大破調は賛否両論でしたが相手を子供だと誘導するという意味では非常によい選択だな、というのが僕の印象です。他にも候補を考えたうえでやっぱりこれが一番いいとなったのであれば良いのではないでしょうか(僕は初句の字余りに甘め!)


☆K クリスマスツリーの下にひとつだけ飛びたつことのない蝶結び(野比益多)

この場合の蝶結びはプレゼントのリボンととるのが普通でしょうか。ひとつだけ、ということはそれ以外は飛び立った。つまり、手渡されて誰かの手によって開けられた。ツリーのしたのひとつは忘れ物か、手渡せなかったのか。どちらにせよ、さみしいことに変わりはないですね。たんたんと風景が描かれてるだけなの にその裏にあるストーリーまで無理なく連想させられるのはこの短歌が成功しているからでしょう。クリスマス、と最初に持ってきた時点で読者の頭の中にクリスマスに関するさまざまな情報を浮かばせてその読者共有のイメージ資産をうまく利用するという手法。31文字しかないのですからこれは非常に有効です。逆に、ひとつひとつの単語に世の中の人たちがどんなイメージを共通して持っているのか。意識して作歌してみるのも訓練になるかと思います。


L 固結びしてた気持ちもほどかれて話したいこと止まらない 好き(天国ななお)

最後の「好き」で種明かしをしてしまったため読者の想像の余地を潰してしまった印象です。一首のなかに意味が重複する言葉が2度出てくるのは非常にもったいない。この場合は「気持ちをほどかれる」が「好き」です。さきほども短歌の重心の話を書きましたが、この歌の場合はきっと「固結びしてた気持ち」がほどかれたところに重心があるのだと思います。そこからどのように膨らませるのか。背景を深堀りするか、ほどいた人はどんな人なのかに言及するか。読者が想像していないことをぶつけてはっとさせるところに短歌の面白さが生まれるのだと思います。


M 靴ひもから解き放たれた幾千のちょうちょ結びが消えゆく朝に(飯田彩乃)

歌会でも発言しましたが、僕は「朝」なのがしっくりきませんでした。どちらかというと朝は靴をはくイメージ、靴を脱ぐのは帰宅した時のイメージなので朝ではなく夕方や夜のほうがすっと入ってきた気がします。「ちょうちょ結び」というひらがな表記から朝の小学校の下駄箱を連想した評もありましたが、全校生徒 の足の数が幾千にもなる学校はそうはない気がしますので僕は「街」という単位で読みたいです。夜帰宅して靴を脱ぐ時は玄関のドアが閉まっているからちょうちょは玄関に留まっていて翌朝に行ってきますとドアを開けた瞬間に空へと解放されていく、という景色として読めばいいのかな。そんなふうに整理していると 最初に見たときの違和感が薄れて良い歌だなと思えてきました。


N 結露する窓に中指滑らせて滴ってゆく昨日の言葉(晴見奏司)

「昨日の言葉」の内容は読者に委ねていることがこの短歌の良いところでもあり弱点でもあるような気がします。そして僕にはこの「昨日の言葉」がまったく想 像つかなかったので票を入れられませんでした。結露、中指、滑らせる、滴る、という言葉のたたみかけで読者の読みを艶っぽい方向に持っていこうとしていることはよくわかります。むしろちょっと露骨すぎて苦手な人もいるかも、とも思うくらいです(第1回空き地歌会での自分の短歌は棚にあげていますがw)。いまのままでは「昨日の言葉」の候補は無限にあります。もうほんのちょっと絞れると僕は安心して最後まで読みきれたかもしれません。あくまで僕は、という話。


O 冬空に散った任意の光点を結んで君が神話をつくる(結城直)

冬空、散る、光点、神話、ときらきらした言葉を揃えすぎて窮屈な印象を受けました。言葉をそぎ落としてどういう歌かをシンプルにすると「君が星を結んで神話を作った」ということでしょうか。油断したら「BUMP OF CHICKEN」の歌詞になってしまいそうな核をどう料理するかがこの短歌を作る上でのポイントになりますね。歌会で山階さんがおっしゃった「星を任意の光点で置き換えて甘くなってしまうのを回避しました、くらいでは僕は採れない」という言葉は同感です。きらきらした言葉が多いと感情が隠れたり甘さが目立ったりしがち。この短歌とは直接関係はないですが、友達じゃない人の誕生日を祝わったりしないよう「知らない人の幸せ」はまさに「他人事」です。(悲しいことはなぜか知らない人でも多少の共感を生むものですが…)言葉がきらきらしてる場合はその内容が本当に相 手の関心事か、客観視することが大切です。


P もうすでに彼女と呼ばぬひとからの夜のメールの結語あざやか(たえなかすず)

会場でも「結語」という言葉について議論されていましたが、僕もまずこの言葉の硬さが気になりました。でも、この一首のもったいなかった点は「結語」という言葉に読者の意識が奪われてしまったところでしょう。そこに意識を持っていかれたためにメールをもらった作者の気持ちを理解するまでに時間がかかってし まうようです。「もうすでに彼女と呼ばぬひと」を作者がどう思っているのか。まだ好きなのか、もうどうでもいいのか。登場人物の好きのベクトルがはっきりした瞬間にこの短歌の意味が開けました。僕の個人的な読みになりますが、この歌では相手が作者のことをまだ好きで、作者は相手のことをもうなんとも思ってないんだと思います。だから相手が送ってくるメールに含まれる未練たっぷりの愛情=絵文字=絵文字にも心が動くことがない作者の冷めた気持ちを「結語」と いうドライな単語で処理している。ここまで紐解けるといい歌だなぁと感じました。ただやはり「結語」にて急に硬くなるため読者の読むリズムを止めてしまう逆効果も持ち合わせています。あと初句の「もうすでに」は「もう」と「すでに」が意味の重複。3音もあまるのでうまくすれば「結語」に気をとられすぎないような見せ方の工夫もできたかもしれませんね。


Q まだ髪を結んだ私しか知らない君と終電の灯りをあびる(沼尻つた子)
友達以上恋人未満の歌。終電、という言葉から恋人未満でも限りなく恋人に近いところにいるような関係かなと連想しました。「終電の灯りをあびる」については電車の外で終電を見送っている状態であるという初見での読みです。恋人未満という状態を「まだ髪を結んだ私しか知らない」と言い換えるところや結論を明言せずに読者の心の中で物語を結ばせているのもこの短歌のうまいところです。でもこの一首は「終電の灯りをあびる」の読みが確定できないという弱点も持ち合わせています。たしかに「灯りをあびる」ということは二人の立っている場所は暗い場所でそこに光が降り注いでいる印象を持つので駅よりも踏み切りや線路 沿いの道のほうがしっくりは来るのですが、二人の居場所の決定的証拠にはならず。結果としてこの二人が終電に乗れたのかどうか確信できません。恋人未満の 二人が恋人未満のままもどかしく帰っていく、という結末だってありえるわけです。まあ、そこは読者次第。読者それぞれに理想のストーリーを描けばいいと言えばそこまでですが、「どちらもある」と気付かれてしまうのは読者を不安にさせてしまう要素になってしまうのではないかと思います。


R 手をふったようにこすった結露には東京たちがゆれていました(高橋たまき)

結露した窓をこすったらそこに残るのは何なのでしょう。というのが最初に引っかかりました。いったいどこで東京たちがゆれていたのか。空き地会場では「こすった(後の)結露には東京たちがゆれていました」という読みが多かったのですが「東京たちがゆれていた結露をこすった」という読みもありえるのではないか、と。これはおそらく登場する動詞がすべて過去形のため時制が区別できなくなっているせいでしょう。細かい話ですが「手をふったようにこすった」は文法的に少しおかしいような気がします。音数は無視しますが「手をふるようにこすった」と書くほうが自然じゃないでしょうか(間違ってたらすみません…)。 と、僕は細かいところでつまづいたので票を入れなかったわけですが会場でみなさんの評を聞いて描かれたシーンはとても綺麗だなと感じました。言葉がもうす こしすんなりと入ってくる言葉や語順だったら採っていたように思います。


S 前もってほどくとわかっている紐を結ぶ バカにもなりきれぬまま(篠原謙斗)

バカは相対的に決まるものです。何に対してバカなのかが無意識にわかると特に気にはならないのですが、この一首ではその対象がはっきりしておらず心許ない印象です。そのためか下の句の意味をとるのが難しくなっています。バカになりきれない、ということはバカを演じようとしていてそれがうまくいってないとい 状況。バカになったらどんないいことがあるのか、そこが上の句といまいち結びつかなくて困りました。ああ、そういう事情だったらたしかにバカになりたいよね、と思えることが上の句で匂わされていたらよかったのかなぁ。(匂わせる、と書いたのは事情をそのまま書くと説明的になる危険もあるかなと思ったからです)この一首は作者の中では筋が通っているのだと思います。ただそれが読者には紐解けなかった。客観視はし過ぎるくらいがちょうどいいんじゃないかなとも 思います。


T しらたきをわざわざ結ぶおそろしい女とともに暮らしています(龍翔)

関西じゃあんまりしらたきって食べないよ、と言ったらそんなことないよって関西人からつっこまれました。作者は関東人だって言い切ったけど関西人でした。 少なくとも僕はあんまり食べる習慣がなかったってことでお許しください。詠草の話、結んだものも売っているしらたきをわざわざ結ぶ、というのは普通に考えたら料理に手間暇かけるタイプの女性。とてもよい妻になるかと思うのですが作者はそれを「おそろしい」という。ここの捩れに僕はなるほど!と思えるほどの 納得を持てませんでした。「おそろしい」を導いているのは実は「わざわざ」という言葉です。「しらたきをわざわざ結ぶ」「メールでもわざわざ笑う」「注連 縄をわざわざ結ぶ」。もちろん「しらたき」というモチーフの選び方は秀逸だと思うのですがせっかくのモチーフ以外のところでつながってしまったのが敢えて 言うなら残念ポイント。会場では「おそろしい」を使わずに、という発言をしましたがいま冷静に読み返すと「わざわざ」を使わずに二句目までにもっとおそろしいと思える状況を置いたほうが良くなりそうな気がしました。(元の歌もいい歌だと思うので厳しめに書いてます!)


U 結婚が決まりましたと告げられてリボン結びがふいにほどける(本多響乃)

状況を伝えただけになっちゃったかな、という印象です。リボン結びが何を示しているのかは、結婚から連想すると赤い糸などとつながるものでしょうか。このリボンはきっと赤だろうと感じるのは「結婚」の効果だと思います。会場でも指摘したのが「告げられた」と「ふいに」の時系列に少し違和感を覚えた点。「ふいに」は「不意に」なので本人の意識の外で起こることです。なのに「告げられて」意識した状態でほどけたところに違和感があったのでしょう。細かな話ですが、それでもみんな日本語ネイティブなので違和感すら無意識下で生まれてしまいます。たとえば「リボン結びがふいにほどける」ところからこの短歌が始まっていたら、どんな話になるのか。下の句の77を冒頭に持ってきて大きく構造を変える推敲は個人的にはよく使っています。(そのまま初句7音にするというこ とではなく韻律は整えなおしますが)


そんなかんじで。
長文にお付き合い、ありがとうございました~。

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